出逢いの教室 

将来に悩む学生のためのブログ。 人生を楽しんでいるオトナから実際に生で聞いたお話をみなさんの元へ。「こんな生き方もあるのか」そんな気づきのきっかけになればと思います。

人の可能性は無限大! 杉岡侑也さん①

こんにちは!

今回紹介する方は、
株式会社Terrace代表取締役社長である杉岡侑也さんです!

 

【目次】

 

プロフィール

f:id:unic0:20170901190914j:plain

株式会社BEYOND CAFE
代表取締役 杉岡侑也

夢:『人の可能性は無限大だ』を証明する。
理念:若者が仕事を通じて『夢中になれる場所』を創る
事業:人材コンサルティング、広報PRブランディング支援
約束すること:自分が世界で一番幸せな自分でいる

引用:杉岡 侑也 プロフィール - Wantedly

 

大学の講義に外部講師として来てくださった杉岡さんのお話を紹介します。

BEYOND CAFEという学生を支援する会員制カフェを渋谷で運営しています。

大学生限定で電源、Wi-Fi、ドリンクを無料で利用が可能。

さらに貴重な就職、キャリア、交流イベントにも参加できます。

学生はぜひ足を運んでみて下さい!

以前、イベントに参加して書いたブログがこちら。

unic0.hatenablog.com

 大学受験失敗という大きな挫折から会社を起業するまで、様々な出会いがあったという杉岡さん。

ユーモアを交えながら関西弁で語られる波乱万丈のストーリー。

その面白さに学生は前のめりになって聴いてました。

 

「人の可能性は無限大」を証明する

僕個人の夢は「人の可能性は無限大であることを証明する」と言い続けています。それを体現する手段として会社を経営することを24歳の時に選びました。会社を経営して約2年が経った今日この頃といった感じです。

f:id:unic0:20170901180418j:plain

株式会社というのはいわゆる法人と言われるものです。法人というのは法のもとにある人なんですね。要は法人というものは法のもとにある人格なんですね。何か成し遂げたいミッションとか夢みたいなのを叶えるために建てた人格なんです。「若者が働くを通して夢中になれるような場所を想像したい」。そういうメッセージを込めて会社を作りました。

 

目の前のことだけで生きていた

僕の20歳の頃の夢はパチプロでした。

まぁ冗談ですが。それくらい目の前のことだけで生きていました。僕は「人の可能性は無限大」と一日に20回くらい言っていますが、そこに至るまでにはだいぶ長いストーリーがあります。僕は18歳の頃に大学受験をしました。スポーツも楽しくやり、勉強も割とそこそこできました。

人生の中で、これは出来ない!とか、俺センスないわ!あかんわ!と思った経験があんまりなかったんですね。だから僕は友達とも言ってましたね。

国立の医学部以外は大学じゃないよな?」って(笑)。

自分はそういう薄っぺらーいやつでした。見事に大学受験を失敗して周りに言った手前、戻せず。大学受験にうまくいかなかった結果、高卒として社会に出る。それが僕の18歳の頃でした。

f:id:unic0:20170901180701j:plain

引用:桃太郎電鉄 公式サイト

 2年間、パチンコとバイト、桃鉄。あとはウイイレスマブラ。この辺は誰にも負けないです。何せ2年間かけてやりましたから(笑)。

 

人生の転機

転機が19歳の冬にありました。母親は友達の多い方で「侑也くんってどこの大学に行ったんだっけ?」という話で「うっ」て言葉を詰まらせるんです。すると、それを見た僕は辛いわけですよ。

f:id:unic0:20170901181228j:plain

 あんなに育ててくれたのに、20歳にもなって息子の自慢すらもさせてあげられへんのかと。これが自分の人生の中で一番人生が変わった瞬間なんじゃないかと思います。

 

営業という仕事との出会い 

結果が出れば少しずついろんな人に出会わせてくれて、いろんなチャンスに巡り合って少しずつ人生が変わっていく。「これはええやん!」って思いました。結果、2年間訪問販売の営業会社にいました。

f:id:unic0:20170901181836j:plain

ただ2年もやると飽きるんですよね。指回らなくなるくらいピンポンしましたから(笑)。

 

期待してくれることへの喜び

ちょうどそのタイミングでお世話になっていた経営者の知り合いだった方が「うちの会社に来ない?」って声をかけてくれたんです。とても感動しましたね。あんなにも自分を期待してくれるということを、高校卒業してから一回も感じたことがなかったので。よくわからなかったけど二つ返事で「行きます!」と言いました。

f:id:unic0:20170901182324j:plain

給料はいくらなのかを知らず、アメリカのどこにいくかを知らず、何をするのかも知らず。
とりあえず行ってみたら場所はニューヨークのアパレル関係の仕事でした。これだけ聞くとかっこいいですよね(笑)。詳細はまた聞いてください(笑)。

 

いざ、セブへ!

結果長い間アパレルの会社でお世話になったんですが、やっぱり飽きる。何かないかなという時に、飛び込んだのがフィリピンのセブ島でした。マジで鉛筆の2Bを超えるくらい肌が黒かったです(笑)。そこでは漁師の手伝いみたいなんもやってました。それが22歳位でしたね。

f:id:unic0:20170901182642j:plain

 ここまで聞いてたらわかると思うんですけど、
僕はそんなに大したスキルがないんですよね。
高校卒業して訪問販売しかやってないですし…桃鉄はできますよ(笑)。
セブという平均所得の低い場所で、僕みたいにスキルもない、英語もできない、そんな人間が仕事をもらえるわけもなくドアノックをして2ヶ月。まぁ今思うと何考えてるんだろうという感じです。

 

自信を胸に帰国

その後日本に戻り、今までの経験から、なんでもやって見たら意外となんでもできる。と思い、東京のベンチャー企業に就職しました。

その時は23歳で、周りの同い年くらいの人間が就活が終わったタイミングだったので、
「えっ、ちょっと待ってよ。俺アメリカにも行ったし、セブでも生きていけたし、就活やったろかな」
と勘違いしてたんですね。

f:id:unic0:20170901185330j:plain

でも僕は、過去を遡って職を探した経験がほぼなくて、分からなくて迷走し、

辿り着いた手段が履歴書改ざん(笑)。

高卒やし、失うものもないだろうと。
そして、高卒ということを明かさずに面接に行きました。開口一番に「すみません。僕、高卒なんですけど、絶対に契約取ります!」とスタートするという。そこの会社史上初だと思うのですが「おもろいやんけ枠」として、結局大卒扱いで入社。そこの会社なくして、今はないと思ってるくらい恩がある素敵な会社でした。

 

 

まだまだ続く杉岡さんのストーリー。

続きは第二弾にて!

 

本日も読んでくださりありがとうございます。